私たちの思い出に,マラソン選手,数々の柔道選手,水泳選手が現れて世界記録を更新したり,メダルを取ったとき,「日本のお家芸」復活とよく判らないことばで説明し,あるいは非人為的な事象に原因を求めていた.
スポーツが根性物語につながったりする由縁かも知れない.品質管理を少しでも理解している人たちなら,なぜそういう選手が生まれたのかについて,プロセスを研究・分析するでしょう.
しかし,意外とこのようなプロセスを明確にし再利用していこうとする動きが少ないのは残念である.
従来から変わらずに品質管理に期待されることは,「データ」から変化を読み取る能力をつけることである. 新しい世紀に向けて同様に期待されているのは,「データでものをいう」あるいは「事実に基づいて」という基本原理から客観的にそのデータの変化をとらえ仮説を立て,科学的に検証していく能力である.
もちろん,従来と比較すればより以上にその「データ」から変化の読み取りの厳しさが求められていると考えられる.
少し品質管理と交わって「当たり前」,「理想」ということは大変難しいことであること. 「こうあるべきだ」「こうするのが理想だ」と思って,あるいはそういう思いなしに行動するけれども,管理されていることもある.
制度も意識も規定された人間が作っている以上,例えば「TQCはこういうもの」「TQMはこういうもの」「品質保証とはこういうもの」と思っているけれどもゆがんでいることもある.
アメリカでは,「豆腐のレシピ」の本が売れているそうです. 品質管理に興味のない人,やりたくてもできない会社に「QCのレシピ」の本でも提供するのも一案かと.
因果関係を言語的にもはっきりとさせた,自信に満ちた「日本的品質管理の原理」を確立すべきときがきている.