「データで語る。」これは品質管理の重要な基本である。
客観的に事実を測るためにデータを収集し、これに基づいてプロセスを改善する。
文章にすればこれだけであるが、この実践は容易ではない。個人の立場からは手法、定石を学習する必要がある。
また組織の立場からは、個人の能力をレベルアップさせる組織としてのしくみが必要になる。
立場からは、個人の能力をレベルアップさせる組織としてのしくみが必要になる。
直接的な成果を短期間で測るのが難しいという性質もあり、90年代からはコスト削減を理由に
「データで語る」能力の育成がおざなりになった組織も少なくはない。その反省からか、
近年はこの能力の育成に改めて力を注ぐ組織が増えてきたのは好ましい傾向である。
「データで語る」能力の育成は、サッカー選手の走る能力のようなものである。
一度その教育を怠ると、せっかく作り上げた文化がなくなってしまう。
そのためには、継続的に育成をするという強い信念が必要になる。
米国において、シックスシグマのブームの峠は越えたように思える。
シックスシグマというと、マスターブラックベルト、ブラックベルトなど、奇妙な名前に目が行くが、
その教育プログラムのほとんどが統計的手法に費やされることからも分かるとおり、「データで語る」が中心にある。
「データで語る」能力の組織的なレベルアップのために従業員間の競争が取り入れられていることは、
日本の典型的なアプローチとは異なる。これは、評価基準を見えやすくし、競争させるという米国流のアプローチが根底にある。
「データで語る」能力の育成には、個人の立場からも、組織の立場からも、能力を測る共通的なものさしがあるほうが分かりやすい。
先ごろ日本品質管理学会により認定された「品質管理検定」はまさにその共通的なものさしになりうる。
品質管理検定には組織運営なども含まれるものの、中核に「データで語る」があることに間違いはない。
組織間での人の流動性が高い米国の場合には、個人の能力実証という立場から認証制度が広く普及している。
すなわち、認証により「私は○○の能力があります」と主張できるからである。一方日本の場合には、
米国ほど組織間での人の流動性はなく、認証制度も米国ほど普及していない。このような状況にあるものの、
品質管理検定というしくみが、「データで語る」能力の育成に貢献することを期待している。