2002年5月21日夕方5時、神田駿河台の10m四方程の小さな会議室に、畑村・中尾研(現中尾・濱口研)の卒業生15名が集まった。
失敗学会発起人の面々である。
「異議なし。」
次々に読み上げられていく書類が全会一致で承認されていく。
東京都、特定非営利活動法人『失敗学会』の設立のため、あらかじめ周到に用意された文面である。
しかし、当然質問は出るし、学会役員候補は即座に納得いく答えを出さねばならない。
会議が終了した午後7時には神田の街はしっとりとした闇に包まれており、角の赤提灯が我等をいざなっていた。
ことの起こりは2000年11月に講談社より出版された『失敗学のすすめ』。
この本があれよあれよと言う間に売れ行きをのばし、ベストセラーの棚にも並べられるようになった。
著者の畑村洋太郎氏(失敗学会会長)が全国津々浦々、いろんな行事に引っ張り出され講演をするようになった。
講演を聴いて感動した人々が、「何らかの形で自分の中で生まれてきたこの新しい考え方を持続させたい」と思ったとき、どこにも行きようがなく、畑村会長に相談するようになった。
何とかしなきゃと思ったとき、それが世のニーズに合っていたら、不思議な力が作用して何とかなって世が動く。
「NPOにするのがいいと思うんだけど、自分は大忙しでその時間がないし、誰かそれを担ってくれる人いないかなあ。」
それを聞いたのが、私、飯野謙次。
『裏図面ソフト*』の開発を終え、読者の何人もがそうであったように『失敗学のすすめ』を読んで感銘を受け、英訳本の作成に取り掛かっていた。
当時は、会社員を辞めて米国で起業してから1年ほど過ぎており、よく考えると無謀とも思えるが、自分の目指す方向にも合っていた。
「僕がやりましょう。」
と手を挙げ、NPO設立の勉強から始めた。
そこから書類を揃えながら発起人を募集、準備万端で昨年5月の第1回総会にこぎつけた。
特定非営利活動法人失敗学会として東京都に正式登録されたのが、同年11月27日である。
第1回大会を12月9日に決め、準備や案内状も配布していたので、滑り込みセーフ。
やはり不思議な力がここでも動いた。
NPO準備会として活動しているころから会員公募はしており、大会当時は個人会員300人、法人会員10団体となっていた。
来るもの拒まずの方針を貫いており、誰でも入会・退会は自由。
現在は個人400人、法人34社と日に日に会員が増えている。
会費を極力低く抑えるため、運営はインターネットを中心に行うことにした。
会員数が増加しても大丈夫なように、エクセルではなく、最初から少し無理してデータベースアプリを開発したのが功を奏している。
「失敗学」という言葉は今や、巷のいろんな場面で耳や目にするようになった。
世の人々がようやく、武家社会の歪んだ体面偏重主義では社会的発展は望めず、江戸時代のように停留してしまうことに気が付き始めた。
閉じた社会ではそれもいいかもしれないが、19世紀後半、世界の近代社会に対して目を開き、途中、侵略戦争という間違いを犯しながらも、とにかく追いつけ、追い越せと遮二無二がんばり、いったんはトップに立ったこともある。
与えられた仕組みの中で改善を続け、ベストの物を生み出すのは得意だが、より優れた新しい仕組みを作り出すのが苦手な日本。
体面を重視するあまり、過去の失敗をうまく生かしていないのもその一つの要因であろう。
失敗学は、もともと創造性開発を目指す中で生まれた一つの過程。
大きな目標を見失わないよう、学会員全員で鋭意努力していきたい。
*裏図面ソフト:畑村教授、中尾教授主導で2001年に開発された試験的ソフト。
設計者が決定をするときに、決定の背景や思ったことなど、図面には書かないが本当は大事な記述やスケッチをCADオブジェクトに付与できる。
失敗学の考え方に沿っている。
昨年フィンランドでのワークショップに関与する機会を得た。
国際競争力トップクラスのフィンランドと、30位前後に低迷する日本との違いを探りに赴いたのである。
自分なりに見つけた主要因は至極単純な話であった。
日本はとてもハッピーな市場なのである。
日本には、ドル・ベースで世界一高給取りの人間が一億人以上住んでいる。
若き起業家は、日本での成功を目指せば十分リッチになれる。
彼らが世界に打って出るのは、日本で成功してからである。
一方フィンランドは、人口わずか500万人余りに過ぎず、若き起業家が成功を目指すなら、最初から欧州、あるいは世界レベルのビジネスを志向せざるを得ない。
日本語もフィンランド語も特殊な言語ではあるが、日本では外国から日本への流入を阻止する「障壁」となっているのに対し、フィンランドでは逆に自国から外国への流出を阻止する「障壁」となっている。
だからこそフィンランドでは当たり前のように共通語としての英語を話すことができる。
辞書によれば、グローバル化とはある国の企業が協業のために他国の企業とリンクすることであり、国際化とは特定地域の問題が世界中の関心を集めることである。
フィンランドでは、最初からグローバル化を目指し、自らのビジネスを国際化しようと試みている。
一方日本では、まず国内の足回りを固め、成功したらその成果を輸出しようと試みる。
ベクトルの向きが最初から違うのだ。
品質管理の世界では、ここ何年も外国由来のキーワードが飛び交っている。
それらを取り入れるだけなら、単に「現地化」しているだけである。
日本的品質管理の「国際化」を目指そう。
自分たちの良きものを、世界に発信していこう。
その際には十分に「グローバル化」も視野に入れよう。
異なる文化、民族、宗教、言語の人たちと「リンク」していくために、特殊なものと共有できるものとをきっちり見極めていこう。
昨年から参加地域が拡大されているAQS(アジア品質シンポジウム)は、私たちが「グローバル化」「国際化」するためのいいチャンスを与えてくれる。
外から眺めると、日本の良い点も悪い点も見えてくる。
特殊性も共通性も見えてくる。
私たちは今までずっと、海の向こうからやってきた「黒船」に揺り動かされてきた。
今度は自ら海の外に立ち、日本を揺さぶろう。